大会名 >>
年代
主将
西日本
大会
全日本
選抜
関西
大会
JAPAN
CUP
高校
選手権
海外
遠征
1991   植田 陽子
           
1992   植田 陽子
   
第1回
5位
     

1993

  植田 陽子
   
第2回
準優勝
     
1994   村西 ゆりか
   
第3回
12位
     

1995

  音窪 麻友子
第1回
6位
 
第4回
3位
第9回
予選落
第6回
予選落
 
1996   山本 久梨子
第2回
10位
 
第5回
準優勝
第10回
3位
第7回
優勝
 

1997

  吉光 愛
第3回
優勝
第8回
優勝
第6回
3位
第11回
4位
第8回
3位
 
1998   諸岡 美紀
第4回
優勝
第9回
準優勝
第7回
準優勝
第12回
優勝
第9回
3位
アメリカ
全米高校
選手権大会

1999

  荒川 香那恵
第5回
優勝
 
第8回
優勝
第13回
優勝
第10回
優勝
アメリカ
全米高校
選手権大会
2000   米田 佳永子
第6回
5位
 
第9回
準優勝
第14回
6位
第11回
準優勝
アメリカ
全米高校
選手権大会

2001

  樋口 裕美
第7回
優勝
 
第10回
優勝
第15回
優勝
第12回
優勝
パトラスの
カーニバル
(ギリシャ)
2002   早川 裕美
第8回
優勝
 
第11回
準優勝
第16回
優勝
第13回
優勝
 

2003

  寺島 愛子
第9回
優勝
 
第12回
3位
第17回
優勝
第14回
準優勝
ヨーロッパ
選手権
(イギリス)
2004   北之防 有里子
第10回
3位
 
第13回
4位
第18回
優勝
第15回
優勝
 

2005

  荒川 那緒
第11回
優勝
第16回
4位
第14回
3位
第19回
優勝
 
ヨーロッパ
選手権
(ロシア)
2006   東 麻衣子
第12回
準優勝
第17回
優勝
第15回
6位
第20回
優勝
 
ヨーロッパ
遠征
(ノルウェー)

誕生秘話
〜新聞記事より〜
 

●1998年(平成10年)8月6日(木)
 
朝日新聞夕刊より

◎1999年産経新聞連載「青春のチアリーダー」
 

●青あざ絶えぬスポーツ

 
 「ファイト!!ゴー!ウィン!!」。女子高生たちの顔が突然変わった。大阪豊中市の北端に位 置する箕面自由学園高校。今、同高校チアリーダー部(愛称ゴールデン・ベアーズ)の練習の真っ最中だ。体育館に大きな声が響き渡った。  隊列がめまぐるしく変わり、肩の上に他の生徒が駆け上がる。組んだ手も上に乗った生徒が勢いよく空中に発射され、そのままピラミットを組む。一転して崩れ、落下する生徒をがっちり数人で受け止める。  見ている方は驚くばかりだが、生徒たちはずっと笑顔を絶やさない。「チアリーダーって、まだまだ世間には知られていませんが、ポンポンを振って黄色い声を出すだけじゃありません。青あざが絶えない、激しいスポーツなんです」 同校チアリーダー顧問富田秀司教諭はいう。本場アメリカでは、チアリーダーになるのは女の子にとって最高の夢だ。 スポーツとしてのチアリーディングには、もちろん厳密なルールがある。演技時間は二分三十秒以内。一チーム八人以上十六人以内で編成され、音楽の使用は合計で一分十五秒以内に制限される。そんなルールの中で、ジャンプしたり、ピラミッドを組んだり、ダンスやバック転などの動き(タンブリング)を加え、演技を構成する。採点は動きの正確さやテクニック、さらには表情や目の輝きまでが対象になる。 (松尾理也)

箕面自由学園高校チアリーダー部は昨年の全国大会「ジャパンカップ」高校部門で優勝。このほど米国・フロリダ州で開かれる全米選手権大会にエキシビション参加することになった。今どきの女子高生たちの、チアリーディングにかけた青春を追う。
 

●最初は見よう見まねで

 
 始まりは、どちらかというと安直だった。「アメリカンフットボール部の応援、してくれへんか。今年は高校日本一になるつもりやから、そのときは東京での試合の後に東京ディズニーランドに連れて行ってやるぞ」平成3年4月。新学期が始まった箕面 自由学園(大阪府豊中市)で、アメフト部の顧問でもある富田秀司教諭は、そんなふうに女子高生たちに声をかけた。そこは、女子高生。「行く、行く」。あっという間に部員が集まった。  ところが、何の練習をしたらいいかわからない。富田教諭も、アメフトこそ指導できるが、チアリーディングについては、とりたてて詳しいわけではない。  集まった生徒たちも、もうひとつ熱意がない。練習には必ず遅れてくる。「えーっ、走るのイヤだ」と、お菓子を持ってきて食べている生徒もいる。指導者が必要だ。ちょっと、発声の仕方でも教えて」と、白羽の矢が立ったのは、当時同校で音楽の非常勤講師をしていた一木一江さんだった。コーチに就任したが、チアリーディングなどまったく知らない。 「さあ、おなかから声を出して」などと、適当に教えていたのだが、五月に西宮スタジアムの試合を観戦しにいったのが、転機となった。「うわーっ、かっこいい」華やかに応援を繰り広げるチアリーダーたちを見て、一木さんはすっかりとりこになってしまった。となると、そこは音楽の専門家。スタジアムに流れる曲をその場で楽譜に書き留め、待って帰ってブラスバンド部に「やってみて」と頼んだ。その曲に合わせて、撮ってきたビデオでチェックしながら見よう見まねで練習を開始。そんな日々が二ヶ月ほど続き、部員たちもちょっとはサマになってきた。 (松尾理也)
 

●いつしか生活の中心に

 
 見よう見まねで練習を続けていた箕面 自由学園高校チアリーディング部。コーチの一木一江さんは、同部が発足した平成3年、長野県で全国から参加者を募ってチアリーディングの講習会があることを知った。  「ねぇ、行ってみようよ」。ちょうどアメフト部も近くで夏季合宿を行うこともあり、顧問の富田秀司教諭の了解を得て同年八ヶ月、部員6人参加することになった。「講習会だから、わからないことは何でも聞けばいいや」。そんなふうに軽く考えていた一木さんの予想は、会場に勢ぞろいしたチアリーダーたち約三百五十人の姿を見たとたん、もろくも崩された。  「乗ってください」。号令と同時に、肩の上に飛び乗ったり、ピラミットを組んだりの演技(スタンツ)の練習が始まった。「ちょっと待って」というヒマもなかった。練習は朝八時から夕方六時まで、昼休憩をはさむだけでぶっ続け。部員らはみるみるうちに青あざだらけになった。講習会というより、完全に体育会の合宿だった。おまけに関西からの参加者は同校だけ。耳慣れぬ 標準語を聞いているだけで、気がめいってきた。  「先生、帰りたい」。初日の夜、一木さんは半べそをかきながら、アメフト部の合宿の冨田教諭に電話をかけた。だが不思議なもので、そんな悪戦苦闘な合宿にも終わるころには慣れてきて、楽しいと思えるようになった。一木さんは、その後、指導者講習会があると聞いては、東京まで出かけていったりするようになった。  音楽の道に進むものと自他ともに考えていた一木さんが、いつのまにかチアリーディング一色の生活になっていった。そんな娘を見て母親は「せっかくここまで音楽をやってきたのに」と嘆いたこともあった。 (松尾理也)
 

●信頼関係の大切さ学ぶ

 
 若者の進歩のスピードはおそろしい。平成三年四月に創部した箕面 自由学園高校チアリーディング部は、わずか二年後の五年の関西チアリーディング選手権大会で準優勝した。六年には文部大臣杯(現ジャパンカップ)高校部門に初出場。このときには、予選落ちしたが、八年には全国チアリーディング選手権大会でとうとう優勝を成し遂げた。  初めのころ、日本でのチアリーディング先進地である関東の高校の演技は「別 次元」のように見えた。が、今や実力は大学を含めても国内トップクラスだ。「ゴールデン・ベアーズ」(同部の愛称)で現在、ピラミットなどの演技で上に乗る「トップ」を同校三年、松尾真木子さんは、優勝を遂げた八年に入部した。きっかけはゴールデン・ベアーズの先輩でもある姉の由季子さんだった。華やかなチアリーディングにあこがれ、迷わず入部した。今でもよく、姉妹で技術面 などについても話し合ったり、相談しあったりする。  中学の時は水泳をやっていたが、特に体力に自信があったわけではない。「マット運動とかも苦手。バック転もできないし・・」。そんな松尾さんは、チアリーディングを通 して「信頼関係の大切さ」を学んだという。「必ず支えてくれる」「必ず受け止めてくれる」という信頼関係がなければ、いくら体力に自信があっても成り立たないのがこのスポーツ。落下して骨折した経験もあるが、「信頼できる友達ができたのがうれしい」と言い切る。 「普段の女子高校生として遊んだりアルバイトをしてみたかった」と振り返る松尾さん。実際はクラブ活動一筋の青春になってしまった。最初は不満だったというが、もちろん今は、きっぱりと「悔いはありません。三年間、本当に早かった」。  (松尾理也)
 

●地域でひっぱりだこ

 
 「日本で一番忙しい高校生」箕面 自由学園チアリーダー部顧問の富田秀司教諭は半分本気で、部員たちのことをこう呼ぶ。昨年十一月のスケジュールを見てみると、土日・祝日合わせて六回のイベントに出演。十五日の日曜日には、午前中に大阪府富田林市で、午後には吹田市で出演するという過密スケジュールをこなしてもいる。  もちろん、平日は毎日放課後、午後七時過ぎごろまで練習。大会が近づくと昼休みに充てることが多いから、まさに「チアリーディング漬け」だ。富田教諭は、チアリーダー部の活動について、・アメリカンフットボールの応援・競技会への参加・地域参加―という三本柱を考えている。「チアリーディングは日本ではまだまだ知名度は低い。さまざまな地域の活動に参加することで、さまざまな人々に少しでもなじみをもってもらいたい」。富田教諭が積極的に地域のイベントに参加するのは、そんなおもいからだ。 試しに教えてみたところ昨年一年間の「ゴールデン・ベアーズ」に対する観客の延べ数は、約十二万人にもなるという。今月四月には、関西国際空港から米国フロリダ州に、向けて全米選手権に参加するため飛び立った。初めて出場した昨年は、日本での「ジュニア部門」優勝による参加だった。「いわば二軍戦での参加。今年は堂々と一軍での参加だから、喜びもさらに大きいい」と富田教諭は話す。「アメリカでは見ているのりが全然違う。いい演技をするとすぐに反応が返ってくるから、やっていて燃えてくる」と、ピラミットなどの演技で頂上に立つ「トップ」の松尾真木子さん。六・七日に行われる「晴れ舞台」を前に意欲をみなぎらせている。 (松尾理也)

初心者集団 輝くV2 本場で“修行”演技で磨き

  アメリカンフットボールなどの応援でおなじみのチアリーディングは、1000メートルを懸命に走ったのと同じくらいのエネルギーを、2分30秒の演技時間で費やすハードな競技スポーツである。大阪府豊中市の箕面 自由学園高チアリーディング部「ゴールデン・ベアーズ」は、2年連続で高校日本一に輝き、2月の全米高校選手権(米・フロリダ州)にエキシビジョン参加した。アメフト部の応援のために発足した初心者集団が、日本一になった歩みを紹介する。(大坪 康巳)

チアリーディング部の富田秀司監督は、元日体大アメフト部のクォーターバック。1974年、同高校に赴任し、その年にまずアメフト部を創設した。チームは、次第に強化されたが、大学時代と違って寂しかったのはチアリーダーがいなかったこと。そこで91年春、教え子になったばかりの新1年生に呼びかけた。「チアリーダーになってみない?クリスマスは東京ドームのクリスマスボウル(全国高校選手権決勝)を見れるし、ディズニーランドにも行けるよ」。部員は14人集まった。チアリーディング部の1期生達だ。約束通 り、アメフト部はその年、クリスマスボウルに出場。早大学院を破って高校日本一に輝いた。 だがチアリーディング部はもちろん初体験だ。母校の日体大からビデオを取り寄せたり、関学大との定期戦に訪れた日体大にチアリーダーを招き、部員が指導を受けたりと、アメフト部と二束のわらじを履く富田監督の試行錯誤が続いた。

達成感がたまらない
次第に力がついていった背景には、積極的な地域イベントへの参加がある。同部は、アメフト部の応援、競技会に加え、地域行事への参加を部活動の3本柱にし、地元の運動会や出初め式、最近では御堂筋パレードや99年ワールドカップバレーのハーフタイムショーにも参加した。そのほか、地域の小・中学校に招かれて演技することも多い。富田監督は「場数を踏んで成長した」。国内最大峰の日本選手権(高校部門)は95年は10位 だったが、98年に初優勝。99年も王座を守った。  全米高校選手権は、地区予選を勝ち上がった約300校が、フロリダ州のディズニーワールドに集い、スポーツ専門テレビ局を通 じて全米に中継されるビックイベント。同校は、3年連続でエキシビジョン参加しており、選手は朝8時から夜10時ごろまで延々と続く大会を観客席から見続けた。そしてビデオに撮り帰国後、気に入ったものを演技に取り入れた。チアリーディングの本場の熱狂的な観客と、一体となって演技した経験が、同校の今の強さにつながっている。国内では高校のチーム数は関東の40校に対し、関西は5校前後しかなく、日本選手権も同校が台頭するまでは、関東勢の優勝が続いた。だが、「西の雄」は連覇を伸ばしそうな勢いだ。  3年生が全米高校選手権を最後に引退し、新チームのキャプテンになった米田桂永子さんは、中学時代は、部活動に参加していなかった。しかし、高校の入学式のセレモニーで演技したチアリーディング部を見てあこがれ入部を決意した。「最初は走り込みや腕立て伏せなど、体力強化が苦しかったけれど、今は演技を終えた時の達成感がたまらない。また日本一を目指したい」。新チームの「ゴールデン・ベアーズ」の初戦は、3月19日の西日本選手権(大阪府立中央体育館)だ。